マリリンモンロー : ハリウッドの黄金期だった時代の1950年代~1960年代初頭に女優、歌手、モデルとして活動しながら文化、ファッション、美術界に影響を与え20世紀の大衆文化を代表する人物の一人。セックスシンボルと呼ばれる。同時に不運な自己破滅的私生活で知られる。 若くして疑問死し、多くの陰謀論を生んだ。 

彼女はシャネル、ドルチェ&ガッバーナ、レゴなど100以上のブランドで使われている。無数のクリエイター、俳優、ミュージシャンにインスピレーションを与えた。死後60年間毎年「フォーブス大衆文化収入順位」10位内にほぼ唯一入る女優でもある。

(エンディウォーホール作品より)

タイム誌「20世紀最も影響力のある人物100人」、スミソニアン選定「米国史上最も重要な人物」に挙がる。米国、英国などの国で古典女優の中で認知度順位1位に選ばれる。

そんな誰もが知るモンロー、ここでは主に他殺説についてまとめた。

影響

1961年、モンローは情緒不安と不眠症などの問題を克服するために努力し、1962年 映画撮影現場に意欲的に復帰。このように未来にポジティブな態度を見せていたため、彼女の突然の死は世界中に衝撃を与えた。

1962年8月5日死去。享年36歳。公式的に伝えられた死因は、薬物過剰服用。過去に自殺未遂事件を数回起こしたせいもあってか事故ではなく自殺とメディアで伝えられた。

モンロー突然の死亡ニュースは、米国と欧州すべてのニュースのトップページに。新聞発行部数はいつもよりもはるかに増加、新聞社に数え切れないほどの確認電話がかかってきたという。

彼女の死後その月のロサンゼルス自殺率は2倍を超えたという。 葬儀は8月8日、ハリウッド関係者の共同墓地で元夫のジョー·ディマジオが喪主を務めた。 映画界関係者たちの訪問を全て断り、非公開で親戚だけが参加した小規模な葬儀で行ったが、結局数多くの観衆が集まって騒々しい雰囲気だったという。

彼女の死には疑問と陰謀論が飛び交い、死亡当日から60年以上経っても数多くの疑いが生じている。

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事件当日

第一発見者は家政婦。家政婦はまず主治医を呼び、主治医の通報で5日朝4:25に警察が到着、モンローは寝室のベッドで裸のままうつ伏せで死亡していた。

死亡時刻は4日午後8時30分~10時30分ごろと推測された。

事件現場には睡眠薬瓶が散らばり、電話の受話器をつかんだままうつ伏せになっていたと主治医は証言。

8月4日、LAのモンロー自宅には、家政婦の夫婦、広報担当者と、夜9:30ごろにジョンF.ケネディの弟ロバートケネディ、彼の義弟のピーターローフォード(俳優)、彼らと一緒にボディーガード二人が訪れていた。

死亡直前にジョーディマジオの息子と電話で話しをしたが、声が明るく彼女が死亡するとは全く予想できなかったという。

第一発見者の家政婦の証言は何度か変わり、なぜかすぐ警察を呼ばずに主治医をまず呼び、通報が遅れた。刑事が現場に駆けつけた時、家政婦は洗濯をしており不自然だったという話もある。

警察が現場に到着後撮影したと言われる実際の写真。主治医の証言とは異なり受話器を持っていない上、顔の右側に死班があったにもかかわらず左を下にして伏せている。

他殺説が消えない理由

2007年、マリリンモンローの司法解剖結果が公開された。

公式的に発表された情報とは全く相反する内容でこれが他殺説の決定的証拠になっている。主に相反する点は、

  1. 胃腸から薬剤が発見されなかった
  2. 発見時の状態と死班の位置が違う

公式的に発表された死因「薬物過剰服用」とは全く相反している。胃の中からは死に至る毒性の物は見つかっていないが、肝臓と血液を分析した結果は薬物の成分が大量に検出された。

モンローの肝臓と血液から検出された薬物は主に鎮痛剤と睡眠薬で知られる物だったらしいが現在は医学用としては使われず、主に安楽死用途に使われる危険な薬物という。 モンローの身体から成人3人を殺害できる量が検出された。

胃で見つけられなかった薬は注射器を使い体に入れたのではという見方が強まったがモンローの身体を調べたところ注射跡がどこにもない。

特徴的に下り結腸あたり異常があり、結腸が暗い紫色に変色していたという。これは肛門から薬物を注入したという可能性があるということだ。実際モンローの尻部分にアザが見つかった。暴行された跡や妊娠はなかったという。

こういう証拠が出てきても当事者は全員亡くなってしまいもう調べようがない。

陰謀論はケネディ家に関係する内容ばかり

モンローはジョン·F·ケネディ兄弟と親密な関係だった有名な事実があり、彼らと関連した疑惑ばかりが多い。

2014年発刊、作家の書いたモンロー殺害ストーリー。一応ノンフィクション作家が手がけたが真実かどうかはわからない。

代表的な陰謀論は、別れを告げたジョンF.ケネディに関係を暴露すると脅迫したモンローをケネディと癒着関係のマフィア組織が殺害したという疑惑だ。実際元マフィア関係者が自分のボスが指示を出して部下3人が暗殺したと主張したらしいが、証拠に欠けている。

隣人たちの証言で午後8時頃、マフィアらしき男3人をマリリンの自宅近くで見たという証言がいくつか出ていたため最も可能性が高い陰謀論の一つではある。

犯人はマフィアではなくFBIだという疑惑もある。実際FBIはモンロー専用ファイルを作って調査したことがあるだけに、この疑惑も信じる人が多い。

病院へ運ばれるときまでは息があった説もある。

もう一つはジョンF.ケネディの弟ロバート·ケネディが義弟であるピーター·ローフォードと共に殺害したという主張がある。実際モンローとロバートは本当に親しかったり、モンローの亡くなる前日8月4日に二人そろって面会している。ピーターもまたモンローと最後に通話した人物であるのでアリバイを作るためではないかと疑惑も出た。 

ジョーディマジオの最後に残した言葉の一つに「マリリンの死にはロバートケネディが関わっている」と死に際に言ったいう話もある。

モンローと男性たち

事件の影に男女あり、ということでマリリンモンローと関わった男性たちについてもまとめてみた。

マリリン最初の結婚は1942年、16歳の時に同じ学校の先輩だった21歳の航空整備士ジェームズ·ドハーティと結婚。 しかし意見の相違が多く1946年、4年で離婚することになる。

1948年、音楽家でボイスレッスンのフレッド·カーガーにレッスンを受けた後に交際に発展した。 フレッドは歌のレッスンだけでなくスタイリングとエチケットを教え、主に音楽と美術、書籍を与えてくれた。 しかしそれ以上の関係を持たずに別れてしまう。マリリンはあまりにも感情的だとフレッドは結婚を望まなかったらしい。

1949年、ある有名エージェントのオーディションを受けることになったマリリン。その後親交を持つようになったエージェンシー副社長ジョニー·ハイドと親しい間柄になった。

ジョニーは芸能界でかなりのキャリアと人脈を持っておりマリリンに大いに役立ったとか。 ジョニーは既婚男性だったがダイヤの指輪を準備しマリリンによくプロポーズした。それ以上の関係を望まない彼女は毎回断ったという。 1年後ジョニーが心臓麻痺で死亡した時遺言で本人所有のLA大邸宅をマリリンに与えたが彼女は断って何も受け取らなかったという。

1952年、ニューヨーク·ヤンキースのスターだった元野球選手ジョー·ディマジオがマリリンを見た後、惚れて芸能界関係者である知人に何度も紹介を頼んで二人は知り合う。 ジョーはマリリンに初デートから結婚しようとアピールをし、大きな愛情を望んだマリリンは恋人関係に発展。

1953年、世界的なスターになったマリリンは監督のエリア·カザンやニコラス·レイと、俳優のマロン·ブランドー、ユル·ブリンナー、ピーター·ローフォードを含む多くの男性とデートしたが、結局ジョーディマジオに戻り1954年2度目の結婚をすることになる。

だがジョーディマジオとは結婚274日で離婚する。 ジョーはすでに現役引退、マリリンは最高の人気を得ていた時期、これがかつて野球選手として大きな活躍と人気を得た彼の自尊心を傷つけたのではと言われる。

二人の仲は1954年あたり本格的にこじれる。 映画の撮影現場について行ったジョーは、マリリンが多く人々が集まったところで下着露出をしながら例のスカートがめくれ上がるシーンを撮るのを見てマリリンと大きな喧嘩をした。二人が悪口を言いながら大声で争う姿が新聞記事に出たりもした。

加えてジョーは結婚生活の間ずっとモラハラ、マリリンが浮気し色んな恋人たちに会うと野球バットまで持ちだして彼女を常習的に暴行していた。 マリリンは顔のあざを隠すために特に濃い化粧をしていたそうだ。 結局離婚届を出して「彼には私を殴る権利がない」と明言した。(浮気したマリリンにも非があるけれどね)

大リーグの殿堂入りを果たすほどの打者が野球バットを持って妻を殴ったことを考えると、彼の愛は果たして本物かという疑問がある。 ジョーは離婚した後もマリリンの住居地に侵入したりストーキングを日常的に行っていた。

3人目の夫になる作家アーサー·ミラーとの出会いは1953年、あるパーティーで2人とも親交のある映画監督エリア·カザンの紹介で会うことになる。 マリリンのファンだと自ら要望したアーサーとその場で知人であり友人になったという。 ちなみにジョー·ディマジオとの夫婦生活中にこの二人は深い関係になった。

1956年、劇作家アーサー·ミラーと3度目の結婚をすることになる。 アーサー·ミラーは有名な戯曲作家だったので、メディアは結婚式の記事タイトルを「最高の創造力と最高の肉体の出会い」と騒いだ。

アーサーは劇作家である職業を生かしてマリリンが女優として成長する配役を直接書いてくれたが、ある日マリリンはアーサーの戯曲を見て、内容が自分の夫婦生活と似た内容であり、その作品に出てくる女性は「賢くなく愚か」という単語で表現されており、これを見た後マリリンはとてもショックを受けひどく悲しんだという。

さらに彼女の最後の作品である映画「似合わない人々」(The Misfits)はアーサーがマリリンにプレゼントした作品だが、この映画の配役はこれまで引き受けた愚者の配役とあまり違わなかった。 裏切られた気持ちを感じたマリリンは、作品撮影中ずっとアーサーとは何も口をきかなかったという。

マリリンが死亡した後、アーサーは「転落以後」(After the Fall)という作品を発表し、ここでもマリリンを最後まで持ち上げることができなかった。アーサーは本当に彼女を愛していたのだろうか…

アーサーとの夫婦生活中、マリリンは連続的な流産を経験。彼女は心の痛みに耐えるために薬物とアルコールにますます依存するようになる。 鎮痛剤なしには映画撮影に支障が生じるほどで、寝る時はいつも睡眠薬を服用していた。そして1961年アーサー·ミラーとの3度目の結婚も離婚で終わる。

アーサーと離婚した後、撮影中に台本が読めないほど薬物および飲酒をして精神健康が悪化したマリリンは多くの問題を起こした。不安症状と薬物中毒がひどくなり周辺の勧めでニューヨークの精神病院に数週間入院することになる。マリリンはすぐに退院を望んだが病院側は断った。

彼女は入院中知人たちに電話をかけ、唯一ジョー·ディマジオだけがお願いを聞いてくれたという。 ジョーはある日病院に駆けつけて退院を要求、病院側が断ると病院長に「今すぐマリリンを出さないと、この病院のレンガをすべて壊すぞ」と脅迫。 おかげで退院できたマリリンは再びジョーに頼るように。 さらに1962年、ジョーと再婚することを約束した。 死亡した日の数日後二人は再婚することになっていたが叶わなかった。

と言うと一途な感じがするが、ジョーディマジオと同時にフランク·シナトラと付き合っていた。シナトラとも結婚を約束したが、亡くなってしまい4度目の結婚はできなくなった。

不安定さで映画撮影をぶち壊しにしていたマリリンはジョン·F·ケネディ大統領の誕生日パーティーに参加。有名な「Happy Birthday Mr. President」を歌った。

当時マスコミは大統領とのスキャンダルを大きく扱ったが、ジョン·F·ケネディはスキャンダルを意識して誕生日イベントを最後にマリリンとの関係を絶った。しかしマリリンは珍しく彼に執着をしたという。

大統領夫人ジャクリーン·ケネディはマリリンとジョン·F·ケネディの関係を知っていた。誕生日イベントにマリリンが来るという知らせを事前に聞いて怒りながら「あなた一人で行ってください」と言ったという。マリリンはジャクリーン·ケネディに電話で「ジョンと私は恋人同士」と言ったという話があるが、出所がはっきりしていない。

大統領とスキャンダルを起こした代価として映画撮影現場から解雇。

ジョンF.ケネディと別れた後は懲りずに弟のロバートケネディと交際。しかし交際はあっと言う間に上手くいかなくなりロバートはマリリンの亡くなる8月4日夜に別れを告げに行ったと言われる。

ケネディ兄弟とモンロー

ジョーディマジオは息を引きとる直前「やっとマリリンのそばに行けるな…」と話したとか。モラハラ男だったけれどマリリンを一番愛していたのは結果ジョーディマジオだったのかもしれない。

他にも噂になった男性はいるけれど省略。後半の方はちょっと女として崖っぷち感があり、切ない。。。

まとめ所感

2007年急に司法解剖報告書が出てきたわけなんだけれど、もしかして事件に関わった人の子孫に力のある人がいなくなったなどの背景があるのかもしれない。

ジョンF.ケネディが暗殺されたとき、ケネディ夫婦が不倫問題でもめていた最中だったらしいし、弟のロバートケネディも暗殺されたりで、それって因果応報?ですかと思わずにいられない。モンローの死にやはり関わっているのかなと想像してしまう。

でも真実はわからない、事件は永久に未解決でミステリーのままですね。

いかがでしたか、参考になる内容があった又は興味深いなど感じるかたがいらっしゃればさいわいです。

最後までお読みいただきありがとうございます。^^