サムスングループの歴史をまとめてみました。前回の続きです。

サムスン重工業(三星重工業)

サムスンの創業者イ•ビョンチョルはとにかく日本によく行き来していた。日本が力を入れていた重化学の分野に関心があった彼はその中でも造船業に興味を持ち、韓国に大規模な造船所を造りたいと考えるようになる。

1973年5月、先進技術導入のため日本の造船業IHI(石川播磨重工業)を訪ねた。この後IHIとサムスンは各々50%ずつ投資をして合併会社を設立することになる。大規模の造船所を建てるため慶尚南道トンヨン郡に150万坪の土地を購入した。

この時期中東戦争が起こり世界的な原油価格高騰につながりオイルショックと呼ばれる混乱が起こる。

オイルショックは世界の新規船舶の発注を絶ってしまうことになる。結局サムスンも造船所の着工を延期するしかなくなった。他社の造船所も建設がストップし、オイルショックの影響でどうにもならなくなった造船所をパク•チョンヒ大統領と銀行が、サムスンに引き取ってもらえないかと要請。イ•ビョンチョルは全然欲しくなかったらしいが、政府の強い要望で仕方なく全て他社の造船所を引き取った(1977年)。

1979年9月、仕方なく引き取った造船所を含め最大6万54トンの建造能力を備えたデッキが完成し船舶建設が開始された。これが現在のサムスン重工業加瀬造船所で世界的な造船所の一つになった。

IHIと合同で進められていた造船所事業は計画が狂い機械工業の事業へ変更になった。これがサムスン重工業昌原工場だが、1997年に工場はボルボに売却されて現在はボルボグループの所有になっている。

半導体事業の開始

1973年のオイルショックによって韓国半導体という会社が倒産の危機に直面したという情報が、創業者イ•ビョンチョルの三男イ•ゴンヒの耳に入る。ゴンヒはまず半導体という名前が気に入り、手先の器用さが求められる半導体に韓国人が合うだろうという考えで父親ビョンチョルに「電子産業をやるなら半導体事業をすべき」と提案した。

当時半導体産業は初期費用が5~6兆ウォン必要で、1個の半導体ラインを作るだけでも1兆ウォンかかった。大損になるリスクが高い事業であったため進出には早いと息子の申し入れを断った。

イ•ゴンヒは「半導体は他人には奪うことができぬ種」と考え、1974年自分の個人資産4億ウォンで倒産寸前の韓国半導体の株式50%を買い、韓国半導体を強引に入手した。問題は韓国の半導体技術が圧倒的に不足していた。

1977年結局 韓国半導体はサムスングループに買い取られサムスン半導体株式会社になり、サムスン電子に吸収され半導体事業部として再編された。しかし自社設計技術がなかったせいで半導体事業部はずっと赤字状態を保ち、サムスングループの”お荷物”扱いだったそうだ。

見かねたイ•ビョンチョルは半導体事業部に直接関わり生かそうと決心。知り合いの日本の半導体会社の会長に助けを求めた。この日本半導体会社の会長は社員をサムスンに派遣した。ところがこの社員たちは如何なるフィードバックも与えてくれなかったという。競争相手になる会社に情報を与えたくなかったのか。

これにビョンチョルは激怒し個人的に半導体を勉強し調べ、米国マイクロンから設計図面を取り寄せて独自の技術で開発し始める。「誰が何と言おうと半導体を信じ結果を出す」と中央日報の社長に話したという。

開発が本格的に進んだ約半年後、世界で三番目に64k DRAM開発に成功。世界を驚かせた。しかしサムスンが64kDRAMを出荷し始めるとマイクロン社は256kを発売、サムスンを意識し64kの価格を下げる作戦に出た。このせいでサムスンの半導体事業部は数年間で1,200億ウォンの赤字を出す。イ•ビョンチョルはこの赤字は覚悟していたため淡々と開発を続けていたそうだ。工学系の学者を呼んで意見をもらい、後に半導体トップ企業との差を縮める。

ところがサムスンが半導体事業に力を入れ出したころ、ビョンチョルは肺癌にかかりこの世を去ってしまう(1987年11月)。

1988年2年サムスン電子は4M DRAMの開発に成功。この年はサムスン商会が設立されてからちょうど50周年にあたる年だった。会長に就任した三男イ•ゴンヒは「サムスンを超一流の企業に成長させます」と強い意志を示し、事業構造を再編、家電•半導体•携帯電話など一つにまとめたサムスン電子が発足した。

1988年、4M DRAMを開発したサムスン電子は前年比なんと176%成長し売上高6兆700億ウォン、純利益1,600億ウォンに成長していた。1990年8月に16M DRAMを開発後サムスン電子半導体事業は安定した体制になった。

サムスンが作ったエバーランド

エバーランドは現在韓国の人気テーマパークだが、最初はサムスン創業者の山林を育てたい動機からスタートした。1971年から多様な苗木を植え出し、5万坪の貯水池を作ったり。池には魚を放し釣り場として活用できるようにした。段々欲が出て来たらしく、さらに世界から様々な動物を連れてきて動物園も作った。

1976年4月ヨンイン自然農園が開園。後にこのヨンイン自然農園は名前を変更して現在のエバーランドになる。

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