2002年米国、


アインシュタインを研究する専門家、
クリストファー•フォン•ビャクネスが驚きの主張をした。


「アインシュタインは論文泥棒です」
クリストファーJ.ビャクネス氏と著書

専門家っていうかアインシュタインのヲタ、
クリストファーF.ビャクネスの主張をざっくりまとめました。

アインシュタイン一人では不可能だった論文

アインシュタインは誰もが知る
特殊相対性理論、光量子仮説、ブラウン運動、
の理論で有名だが、
その代表的な理論は妻のミレヴァなくしては不可能だったという。

アインシュタインの奥さんミレヴァ•マリッジ

アインシュタインは世界的に有名になる前から多忙で、論文を書く時間が不足していた。
そこで手伝ったのが妻ミレヴァだ。彼女は幼い頃から数学と科学に優れアインシュタインに劣らない学者だった。数字に関してはアインシュタインより優れて難しい計算はミレヴァがやっていたという。

結婚2年後にアインシュタインは論文を立て続けに発表、光量子仮説、特殊相対性理論、ブラウン運動を含めた5つの論文をわずか5ヶ月の間に有名学術誌に発表した。
まず5ヶ月に5つの論文を一人で書き上げ発表することは不可能だという主張だ。

最初の論文には共同著者としてミレヴァ•マリッジの名があったが、
掲載される最終論文にはアインシュタインの名前だけになっていた。
掲載時、論文に書き足して送ってほしい指示を出すやりとりを経て最後の決定稿には妻の名は消されていたということが論文提出当時の学術誌審査委員を務めたレントゲンの助手アブラハム•ペドロビッチ•ヨフェの証言で明らかになったのだ。

その後アインシュタインはノーベル賞を受賞、世界を代表する学者になった。

論文発表後、アインシュタインは誰もが認める学者になったが妻ミレヴァは平凡な家庭の主婦になっていた。


共同研究していた夫婦は突如不仲になり、アインシュタインから妻に離婚を求めた。
アインシュタインがいとこのエルザと不適切な関係に陥ったことが原因だった。

新恋人とアインシュタイン

ミレヴァは憤慨し、
「私の要求を聞いてくれないなら世間に私があの論文を書いたってこと暴露してやるから」

とキレた。

これに対しアインシュタインは、
ノーベル賞受賞の賞金を妻ミレヴァに口止め料として与えたと言われる。
アインシュタインは債券を購入してミレヴァに与えたが米国の大恐慌で債券は紙クズ同様になってしまった。

アインシュタインが元妻ミレヴァに送った
「僕からの最後の忠告だ、大事な時は口をつぐむことを知らなければならないよ。言葉に気をつけなさい」
という内容の手紙が残っていたらしい。

後にミレヴァの業績を讃える、ミレヴァの胸像、記念碑、また記念切手が作られた。

衝撃の内容で信じられないが、妻ミレヴァの記念切手が近年になってから発行されたあたり救済不能な感がある。

クリストファーJ.ビャクネスはアインシュタインの子孫から嫌われているのかもしれない。

(了)