ソン•ガンホ主演の映画「麻薬王」(2018年)のモデルになった実在の人物、麻薬製造•流通事業で1970年代に暗躍したイ•ファンスンについてざっくりまとめました。
映画ポスター(ソン•ガンホ)

麻薬に関わる前のイ•ファンスン

イ•ファンスンは黄海道出身で、忠清北道の某大学に通うも中退。
その後釜山の暴力組織「七星派」に入り活動し、1970年ごろ密輸に加担する。外港船を利用し金を主に密輸した。

密輸した規模は約13億ウォンに上る。

画像: 映画「麻薬王」より

しかし検察により発覚、1972年に拘束されてしまう。懲役4年の宣告を受けるが、1973年肺結核で刑執行停止処分を受け急に出所する。本当のところは刑務所の担当がイ•ファンスンから100万ウォンを受けとり彼を釈放したようだ。
出所後は居住地制限に縛られ暮らしていたが、突然姿をくらまし再び指名手配対象になった。

話は少々脱線するが暴力組織「七星派」をモチーフにした映画もある。↓

映画「友人」

麻薬密輸に出逢い覚醒


逃亡後偶然、麻薬密輸に関わるようになり、麻薬製造と流通事業に目覚める。
木材業者社長の別荘を甥の名義で1億ウォンで買取り、この時からその購入した家を拠点に本格的麻薬製造を始める。

この麻薬製造小屋は恵まれた環境にあり、見つかりにくい条件が揃っていた。ど田舎の人里離れた山腹にあり、周辺住民にも別荘として知られているだけだった。年中悪臭を放つ木材の貯木場が近くにあったおかげで、麻薬製造時の臭いを隠すことができた。製造に関わる仲間も夜に通うため周辺住民に目撃されず安全に行える恵まれた要塞だった。

麻薬事業

香港から原料を買い韓国に持ち込んで、製造し、日本へ輸出する「ホワイト トライアングル」を構築。アジア麻薬流通の中心になった。


これを黙認する警察と麻薬監視班が当時多くいた。
仲間の一人が裏切り検察に告発したこともあったが、金持ちのイ•ファンスンは金銭で片付けていた。摘発されてもお金を払えば目をつぶってくれた。

麻薬王末路

麻薬王イ•ファンスンの邸宅は当時庶民が想像もつかないほどの監視システムがあった。入口の門は鉄製の大門があり、そこを通過するともう一つ門があり二重になっていた。

実際の門。映画とほとんど同じだ。


門二つと屋上には当時家庭としては珍しい防犯カメラが設置され、高性能音波探知機が付いており外の状況を完璧に把握できた。石垣の上には警報装置が付いた鉄条網が設置されていて、4匹のシェパード犬まで飼っていた。犬は「かかれ」「伏せ」「入れ」程度の言葉を聞き分けるほど訓練されていた。

1980年、大々的な捜査を展開していた検察はついに機動警察と共ににイ•ファンスンの邸宅を奇襲。イ•ファンスンは持っていた猟銃を打ちながら、警察と銃撃戦を3時間続けた。逃げ切れないと思ったイ•ファンスンは自ら銃口を自身に向け命を絶とうとしたがその瞬間検察が止めに行き命を取り留めることができた。この時、イ•ファンスンは相当な麻薬中毒者で毎日6回の注射をうつほどの薬中だったという。

警察が怪我したイ•ファンスンを運んでいる。
弾丸が肩を貫通し入院したイ•ファンスン。映画も入院中の様子が描かれている。


その後、薬品管理法違反 及び化学類取締法違反の罪などで懲役5年、追徴金3億4680万ウォンの刑を宣告される。

現在生きていれば70代くらいの年齢になっているがどこでどうしているか、行きているか死んでるか全く知られていない。

実在した韓国麻薬王についてざっくりまとめました。映画のストーリーは実際にあった事に沿って描かれているようです。今回のまとめた内容がほぼ映画のあらすじになります。興味のある方はぜひ見てみてください。少し恐い場面もありますが面白いですよ^^

最後までお読みいただきありがとうございます^^