ロシアの偉大な作曲家チャイコフスキー、
「白鳥の湖」「くるみ割り人形」で知られる。

チャイコフスキーの
交響曲第四番F短調は

「僕の一番好きな友へ」

友人へ贈る気持ちで作った曲だ。

友とはある一人の女性。

チャイコフスキーの曲に影響を与えた
女性についてざっくりまとめました。

チャイコフスキーは音楽学校の9歳下の教え子
アントニーナ•ミリュコワと結婚したが
約3週間で破綻してしまう。

奥さんはメンヘラ気質で、
内気なチャイコフスキーに感情的に何かと当たった。

チャイコフスキーと妻のアントニーナ•ミリュコワ

妻の過度な干渉や拘束を非常にストレスに感じていたチャイコフスキーは、
自ら命を断とうとしたが出来ず
無気力で生きた時期があった。

そんな時
あるファンから手紙をもらう。

手紙の差し出し人は
ナデジュダ•フォンメーク。
莫大な財産を持つ未亡人だ。

私はあなたの音楽に大きな感動を貰いました。賞賛に慣れたあなたには私のように取るに足らぬ存在の賞賛が滑稽でしょう。あなたの音楽が私に大きな感動を与えこのようにペンを取りました。

ナデジュダ•フォンメークの手紙より

チャイコフスキーはこれに返信した。

「僕のような音楽家には、あなたのような方がいるというそれ自体が大きな癒しになります」

富豪のフォンメークは多額の音楽支援金をおくり、
チャイコフスキーはさらに豊かになった。

二人は手紙をやりとりし友情を築いた。

チャイコフスキーは妻との夫婦生活の愚痴も全てフォンメークに手紙で打ち明けた。

愚痴に対しフォンメークは
こう返信した。

あなたを苦しめる彼女が憎いけれど、あなたがもし幸せにしていたならば、私はもっと彼女が憎かったでしょう。

ナデジュダ•フォンメーク

愛の告白をしたフォンメーク、
二人はさらに仲良くなった。

その時にチャイコフスキーが作った曲が
交響曲第4番

「僕はこの曲を自分が作った作品の中で最高だと思っています。」


と公言。

文通相手のフォンメークへは


「この曲をあなたに捧げます。僕の一番好きな友へ」


と手紙へ記した。

しかしチャイコフスキーは彼女に会うことはなかった。

実は二人の間には「互いに会うべからず」というルールがあった。

チャイコフスキーはこの当時、法的に離婚状態でなかったこと、
フォンメークは子供がいる未亡人
という状態であったため、

不適切な関係に見られたくなかったのだろう
という説が濃いが正確なことはわかっていない。

チャイコフスキーを研究する学者は、


二人がお互いに神秘的な雰囲気を失いたくなくてそうしていたのでは、と語る。

とにかく二人は会わないルールを徹底して守っていた。

街で会っても挨拶すら交わさなかった。

二人は15年の間約1200余りの手紙をやりとりした。

ところが突然フォンメークは手紙で


これは私があなたに送る最後の手紙です。…..


と絶交宣言する。音楽活動支援金もストップさせてしまった。

チャイコフスキーは大きなショックを受けた。

死の間際にも彼女の名前を声に出したとか。

なぜフォンメークが絶交宣言したのか、これも色々な憶測があるが本当の理由は分からない。

後にフォンメークの孫娘が「家は破産してなかったわ」と打ち明けたことで破産説は消え、謎は深くなった。

チャイコフスキーの人生に影響を与えた文通相手のナデジュダ•フォンメーク、
二人の関係は悲劇に終わってしまったがチャイコフスキーが偉大な作曲家になれたのは彼女の存在と支援のお陰でもあるだろう。

(了)