至尊派と同時期の事件、
タクシー連続強盗殺人 オン·ボヒョンの事件(死亡者数2、負傷者数4)を
まとめてみました。

オン(漢字表記は温)という姓は韓国に5,500人くらいしかない珍しい姓なんだとか。

犯行前のオン•ボヒョン

1957年4月6日生まれで、中学校を中退したため学力不足で兵役を免除されました。
24歳の時父親と激しくけんかした後家出しますが仕事がうまくいかず経済的に苦しくなります。家族や友人、親戚たちと連絡を絶ったままの生活を送ってきたため彼がどのように暮らしているか親族は誰も知りませんでした。

兵役義務を免除にするには何かの分野で秀でるか、彼のような学歴になると可能のようです。

犯行動機


オン·ボヒョンの犯行動機は大きく分けて二つあり、父親と女性に対する憎悪の解消と、英国の殺人魔のように有名人になることでした。
そしてなぜか自分が捕まる時に備えて犯行日記を作成していました。

当時警察は無能


事件が起きた1994年は防犯カメラや道路交通情報収集装置もなく捜査が難しい時代だったことを勘案するとしても、手抜き捜査であったのも事実でした。
某プロファイラーは全国警察署が捜査さえしっかりしていれば事件が長引かなかったという意見を示し、特に被害者が逃げた時、捜査の基本である「犯人は必ず現場に帰ってくる」を見過ごした上、その場所での潜伏捜査の機会を逃してしまったと批判しました。
行方不明事件を軽く扱っていた警察の態度も問題と指摘されています。 最後の被害者の両親によると、行方不明の翌日すぐに警察に失踪届けを出しましたが単なる家出と判断され無視されてしまいました。
当時ずさんな捜査で長期失踪、未解決事件になったケースが多かったといいます。

事件流れ


オン•ボヒョンは少しばかだよねと思ってしまう事件流れです。


1994年8月13日
この日から殺人計画を立てはじめ、近所の裏山に穴を掘る。

1994年8月5日~15日
停めてあった車を窃盗し、続いてタクシー用ナンバープレートを偽造。

1994年8月28日
最初の女性Aを乗せる。 オン•ボヒョンは女性Aを脅迫し学生証を奪い野山に連れていったが、車のドアを開けた瞬間助けてと大声で叫び逃げる。 オン•ボヒョンは被害者Aの後を追わずに逃げる。

1994年9月1日
駐車場でタクシー会社の社名とナンバープレートを変え、再び街に出る。 深夜に女性Bを車に乗せ性的暴行を加えた後、野山に被害者Bを連れ、被害者の口をふさぎ腕足を縛って掘っておいた穴へ押し入れた。 しかし被害者Bはオン•ボヒョンが寝ている間に逃走。

1994年9月11日
夜、女性Cを乗せる。 彼は女性を刃物で脅し野山に連れて行き性的暴行をした後、被害者Cを木に縛り付ける。 彼が野山を降りたこの隙に被害者Cは紐を解いて逃走。 

1994年9月12日(一次殺人)
女性Dを乗せる。 被害者を刃物で脅し野山に連れていったが、縛っておいた被害者Cが逃げた事実を知ると、オン•ボヒョンは怒って被害者Dを木に縛り、顔や身体をシャベルで無惨に攻撃した後逃走。 傷がひどかった被害者Cは息を引き取る。
オン•ボヒョンは新韓銀行の支店で被害者Dのカードを利用してお金を引き出す。

1994年9月13日
女性Eを乗せる。 被害者を刃物で脅しホテルへ連れて行き強制的に性暴行。被害者Eは他の被害者たちとは違って素直に話を聞き落ち着いていたので、腹を割って話し合ったらしい。被害者Eの亡くなった父親の代わりに家族を扶養しなければならないという言葉に同情し、被害者Eを家の前まで送る。

1994年9月14日(二次殺人)
女性Fを乗せる。刃物で被害者を脅したが被害者Fが激しく抵抗したため凶器で手を切る。
これに激怒したオン•ボヒョンは被害者Fを数回刃物で刺し、遺体を遺棄。 その後傷を治療して身を隠すためにソウルのホテルで13日間身を隠した。
負傷と共にこれまで経験のなかった女性の激しい反抗に、もともと小心者で勇気がなかったオン·ボヒョンは犯行に意欲を失う。

これについて某有名プロファイラーは、最後の犠牲者であったFの抵抗がさらなる被害者が出るのを防いだと意見を述べた。

1994年9月20日
至尊派が検挙されたと共に、オン·ボヒョンと関連した事件の公開捜査が始まる。 大々的な公開手配と共に、不審尋問の聞き込み捜査が始まった。

1994年9月27日
至尊派を検挙し有名になったソウルの警察署入口でオン•ボヒョンは「自首しに来た」と言い自首した。
警察の調べに対して「至尊派と私を比較してみたい。 至尊派と同じ監房に入れてほしい」と請願した。

1994年10月31日
ソウル地検検事はオン容疑者を拘束·起訴して死刑を求刑した。

1994年11月14日
ソウル地裁はオン·ボヒョンに強盗殺人及び死体遺棄罪など、求刑通り死刑を言い渡した。

1995年2月24日
2審でも死刑が言い渡され、オン·ボヒョンが上告を放棄し死刑が確定。

1995年11月2日
至尊派と共に同じ日に死刑執行。
至尊派は臓器提供を望んでも拒否されてしまったが、オン•ボヒョンは臓器提供が行われた。

やはり至尊派は人肉食べたから臓器提供はだめだったんじゃないですかね。

なんだか女性はタクシーに乗るのが恐くなってしまう事件でしたね><

余談


いままで取り上げてきた大きな事件の犯人達は出身地が近いあたりに集中しています。
↓赤い点が犯人の名前と出身地です。

今回のオン•ボヒョンも至尊派も、前にとりあげた連続殺人のチョン•ナムギュ、カン•ホスン、ユ•ヨンチョルなど大事件の犯人の実家がなぜかある地域に集中してます。

何かその土地に意味がありそうですね。

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最後までお読みいただきありがとうございます^^