2003年9月から2004年7月までにソウル地域で20人を殺害し、
サイコパスという言葉が韓国大衆に知られるきっかけになった連続殺人犯、
ユ•ヨンチョルについてまとめてみました。
前回のチョン•ナムギュと犯行時期と地域がかぶっているため比較されることが多い殺人犯です。

ユ•ヨンチョル死刑囚。

中学時代に鍛えた身体

1970年4月18日に生まれ、中学校時代、陸上短距離走、砲丸、機械体操選手として活躍したそうです。
高校時代学校生活になじめず高校中退が最終学歴になりました。
1988年 8月23日18歳のころに近所で約2万円とギターを盗み、夜間住居侵入罪と窃盗罪で少年院に拘束されました。
少年院出所後に警察官を名乗って詐欺行為で金品を奪い生計を立てていました。

左男性がユ•ヨンチョル

結婚•離婚

1991年にユ·ヨンチョル21歳の時、マッサージ店の女性と結婚し息子が生まれましたが、その後14回にわたる窃盗や性的暴力などで20代のほとんどを刑務所で過ごしました。
2000年3月15日窃盗と強姦などで捕まり懲役3年6ヶ月の判決を受けました。
刑務所に収監中だった2002年5月、離婚しました。
元妻は後のインタビューで「ユ·ヨンチョルの妻としての生活はゾッとするものだった」と語りましたが、意外にも息子や自分に暴力を振るったことがないといいます。
後の調べでユ•ヨンチョルは、息子が「お父さんの風邪治ったの?」という電話を犯行中にかけてきて一番それが怖かったと語りました。

犬で練習

2003年9月刑務所を出所したユ·ヨンチョルは実家にしばらくいながら、刃物で大きな犬を刺す殺害実験を行いました。刃物は血がたくさん出るだけですぐに死ねない、頭を強打すれば悲鳴もあげられず、すぐに倒すことができると気付き、より効果的な殺害方法を考え金槌を加工したオリジナルの鈍器を作りあげました。

初期と後期の犯行の違い

初期は他人の家宅に不法侵入し殺害する方法でした。
侵入事件は近くに教会のある家を選び「神に祈っても目の前の暴力を避けることはできぬ」ということを示したかったと話しています。以前はキリスト教を信仰してたそうです(どういう教会なのかはわかりませんでした)。

後期には主に出張マッサージ嬢を自分の部屋に呼び込み殺害する方法が用いられました。
女性を呼んで金銭を奪った後、女性が事業主に「いい人に会った。 やめる」と嘘の電話を強要しアリバイまで作りました。また女性の両手指紋をナイフで切りとったりしました。
ユ·ヨンチョルは、警察の取り調べの中で「売春婦のように見える女性を主に狙った」と話しました (実際にはそうでない人もいた)。

出張マッサージ嬢は自分の家に誘いやすいうえ、警察にも届けられない可能性があるためにターゲットになりました。
出張マッサージというかデリヘル嬢みたいな職種は世界的に殺人の被害対象になりやすいそうです。失踪しても探す人がいなかったりするためだそうです。

検挙

2004年7月15日通報から逮捕されましたが、
実際にユ•ヨンチョルを捕まえたのはマッサージ部屋の事業主たちでした。 
特定番号にかかってきた電話を受けて出て行った女性たちが相次いで帰ってこないため、何人かのスタッフが相談して電話番号を「要注意」に分類し、その結果ユ·ヨンチョルを誘引して逮捕しました。 ユ·ヨンチョルはそれぞれ違う電話番号が一つの店につながっていたということを知らなかったのです。


警察署で取調べを受けていたところ、手錠を外して逃げましたが、翌日、首都圏電鉄駅で駅員と警察によって再検挙に成功しました。

取り調べ中まず4件の殺人を自白し、現場検証でさらに26人を殺害したと主張しましたが、殺害人数を水増ししていたことがわかり最終的に犠牲者は20人と確認されました。
内臓が足りない遺体が数体あり追及したら「食べたりもした」と自供しました。

↑メディア取材陣の前に登場したとき、
「これを機会に女性たちが自分の体を大切にしてくれればと思うし、富裕層の人たちも気をつけてくれたらと思います」と語り自分の犯罪を正当化しています。

2004年8月13日起訴、20人の殺人犯罪の有罪が認められましたが、1審2審公判で重大犯罪複合殺人、 極端な人命軽視殺人の罪名が追加され、 刑事訴訟法および量刑規定によって性的暴力犯罪、強姦殺人、死体損壊遺棄および殺人、過失致死などの容疑で2004年12月13日に死刑宣告を受け、
1年後の2005年6月9日、最高裁はユ·ヨンチョルに対する上告を棄却し、死刑を確定しました。

ユ·ヨンチョルは2008年米国の雑誌「ライフ」で20世紀を代表する連続殺人者30人の一人に選ばれました。

現在も服役中

2005年6月9日に最高裁で死刑が確定しましたが死刑はいまだに執行されておらず、死刑未決囚に分類されています。
韓国は2007年から事実上死刑廃止国家に区分されています。

ちなみに死刑執行国は中国、ベトナム、北朝鮮、サウジアラビア、イラン、米国の一部の州、日本、ロシアです。 

ムショでも問題児

ユ·ヨンチョルは刑務所に入ってからもおとなしくできませんでした。
収監者たちを見て「このうち暴力団員一人と経済事犯一人を殺す」と宣言し騒然とさせたり、
刑務官の首を絞めながら「俺がサイコパスなの知らないのか!」と叫びながら暴れたり、「お前一人殺してもどうせ死刑だ」と暴れたり、刑務官のかつらをはがして恥をかかせたり、花壇を破壊する行為を何度もしているといいます。
別の収監同期の証言によると、刑務官の腕まで折ったことがあったといいます。
刑務官に裏金を渡しエロ本と日本の漫画をコッソリ搬入したこともありました。 その他にも絶えず教育不能に近い姿を見せながら暮らしているといいます。

サイコパス診断テスト

ユ·ヨンチョルの場合サイコパス判定検査で40点満点で28点だったといいます。社会に対する怒りや憎悪もなくはありませんでしたが、使命感や憎悪犯罪の表皮を使った快楽殺人と理解した方が正確だと思われます。

警察が遺族を足蹴り

ユ•ヨンチョルを移送中、容疑者に飛びかかってきた被害者遺族を警察が足で蹴ってしまう事件がありました。
マスコミは、警察が殺人鬼ユ·ヨンチョルを保護し悲嘆弱者の被害者遺族を足で蹴る行為をしたと強く非難しました。
警察は緊張状態で起こった突発事態で考えて判断する余裕もなく、職業的な反射行動が出たのだと説明、この事件で警察庁長が公の場で頭を下げて謝罪しました。
蹴った捜査官は「遺族とは知らず、持っていた傘を一瞬、凶器と見て」と話しました。 その後本人が被害者の夫のところを訪ねて謝罪したといいます。
この蹴られてしまった遺族は被害者の母親でした。 娘が亡くなり本人は殺人犯が見ている前で足蹴りまでされ、その心境は一言で言い表せないものであったと思います。 

↑遺族が犯人の目の前で蹴られた場面。泣きっ面に蜂なんてもんじゃないよこれは。

書籍化•映画化

ユ·ヨンチョルの記録を書いた書籍『殺人中毒』が2005年に出版され、
残酷な連続殺人をモチーフにした映画『チェイサー』が2008年公開されました。


この映画がほんとに恐くて顔を背けたくなる場面が多いです。恐いばかりじゃなく楽しい場面もあります^^


映画のタイトル「チェイサー」は米国の連続殺人犯のリチャード•チェイスからとったと思われます。ユ•ヨンチョルもリチャード•チェイスを勉強していたそうです。

↑映画に出てくる主人公が乗る車は、ユ•ヨンチョルが使用していた車に似た車を使用しています。映画は所々リアルをおりまぜて作られてている感じでそれほど忠実に作られてません。

実際は映画より残酷だったと言われています。

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最後までお読みいただきありがとうございます^^