2004年1月14日から2006年4月22日までソウルや京畿道地域で面識無く罪も無い14人(13人だったが後に一人追加された)を殺害し19人に重傷を負わせた犯罪者、2000年代を代表する連続殺人魔の、チョン•ナムギュの犯行や特徴についてまとめてみました。

男性からモテた?

チョン•ナムギュは1969年3月1日生で、
幼い頃近所のおじさんから性的いやがらせと性的暴行を受け、高校在学中隣に住んでいたおじさんに2度も性的暴行を受けました。
軍隊に服務していた時も、先輩から性的暴行を受けました。 

こうしてソシオパス的な性格は作られたのでしょう。

チョン•ナムギュ

社会不適合

高校卒業後4ヶ月間工場で働いたこともありましたが、職場生活に適応できず辞めて配達仕事をしたり建築工事現場で働いたり職を転々としました。
軍を満期除隊した後はこれといった職を持たないまま生活し窃盗で生計を立ててきました。

少年好き

彼が最初に犯した殺人は2004年1月14日、遊んでいた13歳少年と12歳少年をナイフで脅して近くの山に連れて行きわいせつ行為をした後、首を絞めて殺害しました。 遺体は行方不明から16日後、子供たちの自宅から3キロ離れた山の頂上付近で見つかりました。 この事件は迷宮入りするところでしたが逮捕された後、容疑者の自白で犯行事実が明らかになりました。

残忍な犯行

初期は街角で攻撃する手法で、路地を通る女性を襲い凶器で数回刺して殺害しました。 背中から襲うのではなく必ず前から攻撃したそうで被害者には背中側に傷がある人は一人もいませんでした。
後に集合住宅街などを未明に侵入し、殺害したり放火する方法に変わっていきます。
「富裕層の住む地域には防犯カメラが多すぎてない所でやった」と話しています。 
強姦を何度も犯し 殺人と性犯罪を一緒に犯したことも少なくありませんでした。 人が死んでいく過程を長い間見守りたくて犯行期間中に殺害道具を一部で刃物から鈍器に変えたといいます。
最も残酷で韓国で過去最悪の犯行と評価されました。

↓使用された鈍器。

同時期にいた連続殺人魔と混同

同時期にそれも同じような地域で二人の連続殺人犯が歩き回っていました。チョン·ナムギュの犯行を他の犯人の仕業かと思われていたこともありましたが異なる犯行手法からもう一人の彼の仕業ではないと判断されました。

検挙

2006年4月22日、ある大きな多世帯住宅に侵入しました。部屋の中を隅々まで探したにもかかわらず商品券1枚しか発見できず、怒りがこみ上げてきたチョン·ナムギュは、部屋で寝ていた20代の青年を鈍器で殺害しようとしたが被害者が激しく抵抗し、隣の部屋で寝ていた青年の父親まで加わり激闘の末、警察に引き渡されました。しかし容疑者は警察署に移送する直前パトカーの後部座席で手錠をはめたまま逃げてしまい、2時間後に町内住民の通報でまた検挙されました。

捕まったときは単なる強盗と思われていた

検挙された当時は単なる強盗傷害犯として報告されました。 

連続殺人を犯したことに気付かなかったなら刑務所で数年暮らしてから出た後、再び殺人を犯していたかも知れないということです。 しかし数年間チョン·ナムギュを追っていたプロファイラーが彼を追及して自白を引き出し、無惨な連続殺人の真相が明らかになります。プロファイリングの勝利でした。

自慢げに供述

 重罰を避けたいとして事実を隠そうとする一般的な犯罪者たちと違って、指示もしていない自白を勝手にしたり自分が言いたいことを全部並べ立てるなど自慢するように供述し死刑さえ恐れなかったといいます。一方では自分の犯行を隠したり、自身でも忘れたりもしました。逮捕後の尋問の過程で、犯行後の満足感や罪悪感は全く感じなかったと発言し、人々を驚愕させたこともあります。

特異な言動

現場検証当時、憤った市民たちが彼に石を投げると、避けたり頭を下げる他の犯罪者たちとは違って市民たちをにらんで立ち向かおうとしたり、遺族に足蹴りをしたこともありました。
他の場所に移動するために連行車両の中に乗った時は、カメラに向かってニコッと笑って見ていた人々を恐怖に震えさせました。
↓微笑むチョン•ナムギュ。

↑これは自分のやった事に人々が沸いている状況に喜んでいたらしいです。曲がった自尊心です。
また、裁判の過程で「人を殺すことができず、憂鬱でもどかしい。 早く死刑を執行してほしい」と発言するなど、典型的な快楽殺人犯の姿を見せました。

努力家だった

犯罪を準備することに想像以上の力を注ぎました。 逃走を容易にするためにほぼ毎日住居地近くの運動場で10kmずつランニング練習をし、握力器やバーベルなどで体力を鍛えたり、普段から喫煙もしませんでした。

健康情報番組を地道に視聴し、自分の献立まで徹底的に管理するなど、殺人のため訓練などの長期的計画まで練りました。
体力だけを鍛えたのではなく学習にも熱心でした。捜索された彼の家で科学捜査関連の雑誌が数十冊が発見され、逮捕される直前まで「CSI科学捜査隊」シリーズを一本も欠かさず視聴し続けていたそうです。
また、自分の犯行が掲載された新聞記事をスクラップしながら捜査状況を調べていました。 後に捜索された彼の自宅では有名プロファイラーの月刊誌インタビューのスクラップまで発見され、捜査陣を驚かせたといいます。
努力の方向が正しければ成功していたでしょうに。。。

創意工夫

完全犯罪に最大限近い努力をしました。すべての靴は靴底を取り足跡が出ないようにし、被害者を迅速かつ確実に殺害するための凶器を使用する一方、指紋が簡単に発見されないにもかかわらず滑りにくい手袋を着用しました。 そのため長い間捕まらずに殺人を続けることができたのです。
↓靴裏を削り足跡を残さないようにした。

巻き込まれた罪の無い人

ある殺人および放火事件で、警察は被害者の父親を疑って周りをほじくり返し、強圧捜査を行う蛮行を犯しました。 誰もいない部屋に連れて行き、6人の捜査官が取り囲んだまま同じ質問をしたり、脅迫したり、内縁関係による殺人の疑いがあるかどうか、通話記録を照会した後、知人たちに何度も電話して関係を聞いてみたりなど… 警察が妻までを疑い、結局夫婦は離婚してしまいました。 事件の衝撃を受け、疑われた方の母親すら3ヵ月後に死亡するなど相次いで不幸に見舞われました。

拘置所で自害

2007年4月最高裁判所まで持ち込まれた裁判の末、チョン•ナムギュへ死刑が最終確定されました。 裁判の過程で「タバコはやめても殺人はやめられない」という言葉を残し、2009年11月21日ソウル拘置所で首吊り自殺を図り、病院に搬送されたが翌日未明に死亡しました。死刑執行に対する恐怖が自殺を決心したと推定されています。

自殺理由諸説

死刑執行に対する恐怖よりも殺害する対象がもうないため自殺を選択したのではないかという捜査側の話しもあります。容疑者が 「早く死刑を執行してほしい」と言ったこともそうですが、実際に自殺する前まで平然と過ごしていたことから信憑性のある推測と受け止められます。

彼をプロファイリングしたプロファイラーは、「チョン·ナムギュは自殺したのではない。 自分で自分を殺して終わった人だ。 殺人の終わりは自分自身だった」と語りました。
監獄に入ってこれ以上殺人をすることはできず、殺人の対象が完全に消えたので自ら命を絶ってしまい、最後を完成させたのではないかと言います。

真実はチョン·ナムギュ本人だけが知っているはずです。

最後までお読みいただきありがとうございます
ただいま韓国は旧暦のお盆です。事件系ばかり見ているので夫から趣味が悪いと言われてます^^;