前回の続きです。
裁判で闇馬事件関係者は有罪となりましたが、馬の没収はされませんでした。引き続き航空機運搬に使役されました。
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しかし、あのがっちりした巨大ペルシュロン馬も昭和20年夏には、痩せ細り、見るも哀れだったといいます。
馬をダメにした原因には諸説があります。
劣悪なエサのため?いや使い過ぎだ、夏の暑さのためだなど定かではありません。
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いつまでも時代遅れの運搬方法に頼ってはいけないと近くに飛行場建設も始まりました。
場所は(愛知の)小牧と大府でした。しかし間に合いませんでした。
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昭和20年8月終戦になりました。
不要になった哀れな牛や馬たちはどうなったでしょうか。
戦時中、爆撃で倒れた牛を一晩道路に放置しておくと翌日は骨だけになってしまったそうです。あとはご想像にお任せします。
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牛や闇馬で機体運搬を担った人たちはその後、会社組織を作り、現在も東山運送会社として存続しています。
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慌てて建設した飛行場はどうなったでしょうか。
大府は元の農地になりました。小牧は名古屋空港として存続しました。
名古屋空港に隣接して三菱重工業の航空機工場が昭和29年に建てられました。
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(闇馬事件 ~語り継がれる三菱のしくじり事件の巻、終わり。)
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