前回の続きです。

県警に寄せられた投書から始まった騒動は一件落着のようにみえましたが…..

投書から裁判ざたへ

盛岡裁判所の検事が法律違反を理由に立ち上がりました。わざわざ名古屋まで出張してきて尋問を開始しました。

検事の態度は、妥協を許さぬ冷酷な態度であったそうです。

さらに昭和19年12月12日~13日の二日間、実地検証が行われました。

検事は三菱名古屋航空機の生産状況視察、各務原飛行場までのペルシュロン馬による機体輸送状況を査察しました。

ちょうど戦時下、米軍の爆撃も激しくなってきて、知識人は敗戦を意識し始めたころでした。

(写真はイメージです)

緊急事態?今更たかが馬くらい盗んだわけでもない!それが裁判になるとは軍関係者、警察署、三菱当事者も考えもしなかったそうです。それが正式な裁判になり、判決がなされました。

裁判の最終判決論旨は、

被告が私心を離れて国家に協力せる崇高なる発動理念と解し、大勇断を以って無罪の宣告を言い渡したい処なるも、立法権威の尊重上これをいかにせん、無罪にすることはできない。この事件が「馬喰」からでた問題であるが故に、今後の取締上許しえず

として、岩手県職員、東山牧場主、三菱の担当責任者などに禁固6ヶ月、一ヶ年実刑判決になってしまいました。それと罰金刑も加算されました。通常ならヤミ商品の没収、罪が重くとも罰金加算のみで済むと思っていたのです。禁固刑という重い刑に当事者たちは憤りを感じたそうです。

(写真はイメージです)

この判決には、いろいろと噂が立ちました。

東條首相が昭和19年に辞職した事がそれと関係あるのでは?という噂がありました。なぜそんな噂が出たのかと言いますと、

東條首相の息子さんが三菱の名古屋製作所に勤めていたからです。辞職で三菱に配慮する必要がなくなったからではという噂がありました。敗戦も意識していたかもしれません。

検事の実地視察の時、工場周りに歓楽街があり夜になれば若者たちがドンチャン騒ぎをしていたことが発覚しました。この食糧難の時期にけしからん!東北地方は若者が兵隊に取られ、さびれてしまったんだぞ!これを罰せずにいられるか!という思いがあったのではないかといわれています。

続く。