第一次世界大戦中のころです。

航空機が戦争で活躍し、注目されるようになりました。

そこで名古屋でも飛行機を作ろうということになり、大正6年(1917)名古屋兵器製作所が設置されると同時にモーリス•フォルマン式飛行機の製造を開始しました。

当時日本はイギリス、フランスなどの連合国側だったので、フランスの技術指導で飛行機を製造しました。

各務原には陸軍の射撃場がありましたが、これを急遽飛行場として整備することになりました。飛行場は大正7年(1918)に完成しました。

名古屋兵器製作所は、名古屋のJR熱田駅の東側にありました。

当時の工場建屋の一部は、今も中京倉庫にて使われています。また神宮東公園には記念碑があり当時の面影を偲ぶことができます。

兵器製作所の記念碑

兵器工場で製造したフォルマン機は、列車で各務原飛行場まで運搬しました。

試験飛行を重ねたのち、飛行場から飛び立ったフォルマン機が名古屋兵器製作所上空を訪れた時、工場職員、従業員らが歓呼の声で空を見上げたそうです。

以来完成初号機が製造工場上空を飛ぶ習慣は三菱重工業へ引き継がれ、現在でも見られる光景となりました。

事前に知らされた時間に時計台の上空に現れた試作初号機に向かって手を振りました。

現在も同じ姿で残る兵器製作所工場。現在は倉庫として使用。

熱田兵器製作所は中部地区先端技術の先駆者でした。

三菱重工業が航空機を製造することになったとき、熱田兵器製作所へ三菱社員が多数指導を受けに行きました。

その後名古屋で自動車も作りました。自動車製造技術は、名古屋工業大学 → 日本車両 → トヨタ へとつながりました。

そしてロケットも作り出しました。かの日本ロケットの父と呼ばれている糸川先生も戦時中、名古屋兵器製作所へ来てロケット開発に参加しました。