航空機工場のはじまり(2)

牛車?時代遅れの運搬

零戦ができる以前、昭和4年頃すでに時計台の近くにあった飛行場では手狭になり各種軍用機体は胴体、主翼など半組み立て品の形で岐阜県各務原飛行場へ運搬しました。

工場から飛行場まで北へ48kmあり、運搬手段は初めは列車、その後なんと牛車になりました。

機数が少なかった時は昼間の運搬であったようですが、戦争中は運搬量が膨大となり、秘密であること、牛車隊列は長時間道路を占拠するため一般人が通行出来なくなることから夜間運搬となりました。

夜8時頃、工場から十数台の長い牛車隊列が出発しました。

牛2~4頭立てで道路一杯、ほとんど軒に触れんばかりだったそうです。異様な光景は、道沿いの家から覗き見ることができ、中には外に出て見る者がいましたが、警護していた警官に不審者として職務質問を受けたり捕まったりしたようです。

隊列は夜明け前に中継所に到着、昼間休んで、夜間出発、翌朝6時頃に各務原へ到着しました。全行程34時間でした。

到着した半組み立て品の機体は直ちに降ろされ、全機組み立て後検査試運転を経て、戦地へ送られました。

この平安時代を思わせる牛車運搬を時代遅れの代表として戦後嘲笑されましたが、当事者たちは至極真面目にいろいろな運搬法を調査し、知恵を絞りました。

運搬には馬車の方が速くないだろうか、車が利用できないだろうか、列車はどうか、木曽川を運河として利用できなかったのか。。。軍の力を借りて近くに飛行場を造ればよいなど各種案があり、実行されました。

もっとさかのぼれば、そもそも飛行機工場がない岐阜県各務原になぜ飛行場ができたのだろうか?

「各務原には川崎重工業の航空機工場があるではないか」と言われそうですが、川崎社が各務原へ進出しましたのは昭和12年のことでした。各務原飛行場はすでに大正時代にありました。

疑問がたくさんあり、それぞれに事情がありました。

昔々の話で長くなりますがまだまだ続きます!

(2019-7-17修正)

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