航空機工場のはじまり (1)

1920年に名古屋で航空機工場がうまれた

名古屋港の東、堀川沿いに埋立地があり、その一区画6号地、後に大江と呼ばれた場所に1920年(大正9年)航空機工場が生まれました。

もともとこの区画は港に近いので潜水艦建造所として三菱重工業が購入したものでした。

しかし水深は浅く秘匿性のある潜水艦には適正ではないと判断し、おりから第一次大戦における航空機の活躍ぶりから、将来性のある航空機製造工場に切り替えました。

当時の航空機は小型で滑走路長が100mもあれば離着陸ができました。その航空機工場の西、海側には200mの離着陸場を併設しました。

零戦の設計者として有名な堀越二郎技師は、7年後の1927年(昭和2年)にこの地に赴任しました。

宮崎駿のアニメーション映画「風立ちぬ」に当時の風景が描かれております。名古屋市の中心部から三菱村と呼ばれた6号地大江工場へ市電に揺られながら通勤する状況はその通りであったと思います。

更に粗末な設計室の中で技術者が製図机の前で計算尺を使って設計する様子は当時を知る者には懐かしく思ったことと思います。(当時を知る設計者が生きてるかどうかわかりませんがw)

ただアニメーションでは恋人が結核だったと描かれておりますが、実際には堀越二郎技師本人が病弱だったと伝え聞いております。

昭和の初め不況から脱出した1937年(昭和12年)待望の総合事務所兼設計ビルが完成しました。中庭付き、周囲3階建て、東北角を一部4階建てとしその上に高い塔を造り大時計を取り付けました。このビルは離着陸場近くの野原に建てられ、後に時計台と呼ばれるようになりました。

三菱重工業 時計台 (名古屋の工場)

零戦の基本設計は昭和12年以前から行われていたようですが、本格的設計は時計台完成後新設計室移転してから始まりました。

2年後の昭和14年には零戦1号機(12試艦上戦闘機)が完成しました。現在の航空機製造期間から見れば驚異的な早さでした。

(続く)

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